もふもふ夢日記

日々感じたことの雑記

浮遊

久しぶりに浮遊する夢を見た。
空を飛ぶ夢を見たことはないが、数センチから10メートル位の高さを『浮遊』する夢を希に見る。

浮遊する夢は結構楽しい。
浮く予感があって、ぐーっと浮くことができると思うと、浮くのだ。
ぶわん、と浮いて、心の中では、うわわわわ、と思っているのだが、浮いてるということ自体は楽しい、そして怖い。
つるん、とか、ばいーん、みたいな時もある。
擬音ばかりで申し訳ないが、あの感覚を言葉にするのが難しい。

浮かび上がりすぎて、どうやって下に降りるんだ、と恐怖を感じる時もあるが、落ちたことは一度もない。

楽しいけど恐怖を感じるというのは、単に地に足がついてない状態を示しているのかもしれない。

ここのところずーっと夢については良くなかったが、最近やっと調子を取り戻しつつあるのが嬉しい。
やっぱり夢って面白い。

悪夢

ここのところ悪夢ばかり見る。
寝起きも悪く、体が重くてすぐに動けないし、一日中うすぼんやりと眠い。
そんな感じが夏至から続いている。
夏至までの期間はほとんど夢を見なかったが、体も気持ちも楽な日々が続いていた。

悪夢ばかり見ると言っても化け物や悪魔が出てきて襲われるようなものではなく、現実的な世界で良くないことが起こる夢だ。
ある日の夢は、電車に乗っていたら途中の線路で降ろされ、次の駅まで歩き、改めて別の電車に乗ったら運転が荒くて恐怖を感じた。
満席だったので私はつり革につかまったが、立った状態ではかなり電車の揺れに翻弄されるし、車内がざわついていたのでそれも私を不安にした。
自分でこの夢を判断すると、いろいろと振り回されて疲れているように思える。

他に見た悪夢も、外部で起きている出来事を見て心を動かすことが多いと気づいた。

最近の情勢に一喜一憂している実感はなかったが、自分が気づいていないところで振り回されていたのかもしれない。

メモしたはず

がっくりするのは、夢がメモされていなかった時。

夢をメモするのは、寝起きでまどろんでいる時なので、実際に行動しているのか曖昧だ。

たくさんの夢をメモしたはずなのに、メモを見返してみると、何も書かれていないということが何度かあった。

さっきスマホのメモに夢を打ち込んでいたのは、夢の中だったのか?
あんなにリアルだったのに?
と、悔しさは倍増する。

あんなにリアルな夢じゃあ、夢をメモしたと思い込んでもおかしくないよ。

似たようなことで、夢の中で人に話したことを現実で確認すると、「そんな話は聞いていない」と言われたことがある。
あんなにリアルだったのに?
と、意味がわからなくなる。

リアルな夢は楽しいけど、リアルすぎるのはどうなんだ。
リアルでも「これは夢だ」と気づけるようになれないものか。

ブログ放置

ブログを長いこと放置してしまっている。

なんか書くかあ。
と気まぐれに思ったので書いてみるとこにした。

ブログは全く書いていないが、普段の生活で思いついたことがあると、今度ブログに書こうかな、なんて思っていることもある。
けれどもブログのネタについてメモを取る習慣がないので、すぐに忘れてしまうのだった。

夢日記(もはや単なる夢メモ)はつけているが、最近の夢は不作で、心に残るものがない。

ここ数ヶ月の夢は、毎回複数の人が出てくる。
知人である場合もあるけれど、大抵が意識の向かない背景のような人々だ。
本当に、毎回毎回人がたくさん出てくるのだ。
日々の生活でたくさんの人に疲れているのかもしれない。

そのせいか目が覚めても少しぐったりしている今日このごろです。

久しぶりのブログなのに低空飛行なテンションじゃあれなので、明るい話も書きたいと思うが思うだけ。
今度そういう気分の時にそういう内容の記事を書こうと思います。

初夢

今年の初夢。
夢日記というか、夢メモから。

『デパート的なお店。
人が多い。
美味しいお米を買うために、小さな売り場に並んでいる。
カラオケ歌ってたらいろいろ人が来て邪魔で歌いにくい。なんか歌の画面も歌詞がいつもと違う。』

私にとってはよく見る夢のオンパレードであった。

デパート、カラオケ、お店で買い物をする夢はよく見る。

夢の解釈をするほどのこともなく、普段の生活がまんま出ただけかなぁ、という印象だった。
特にメッセージ性も感じなかった。

年末年始はいろいろやりたかったが、気力がなくてぼんやりと過ごしてしまった。
パソコンも半月ほど放置してしまった。
最近やっと調子を取り戻してきたので久しぶりにパソコンを点けたが、感慨もなくやはりいつもと変わらない風景で、特に可も不可もない年末年始であった。

初詣のおみくじは一応大吉。
いつ引いたのか覚えていないし、大吉だったんだ? と、今おみくじの内容を忘れて確認しなおすくらい漫然と初詣をしたらしい。
いつ行ったのかすら覚えていないや。

本日立春
遅ればせながら
あけましておめでとうございます

 

すみっコのこと

私は陰ながらすみっコぐらしを応援してきた。初登場からずっとだ。

当時はグッズを置いている店も少なく、また、置いてあっても小規模であってりして、本当に隅っこの存在に見えた。

私は初めてすみっコぐらしを見たとき、「可愛いからメジャーになって欲しいけど、設定がネガティブだから子供に受けないだろうし、すぐにいなくなっちゃうかもしれないな」と思った。

実際、初登場から数年はお店の隅っこの存在で、他のメジャーなキャラクターに比べて狭いスペースで展開していたし、目立たなかった。店によってはすみっコぐらしのグッズ自体置いていなかった。そのため、すみっコぐらしの新しいグッズが出るたびに、ああよかったまだ居る、と嬉しく思った。

そして今年の夏頃、Sun-xチャンネルですみっコぐらしの映画化を知った。

はっきり言って、喋らない彼らが映画の尺を持たせることができるのだろうかと心配になったが、動画の中で動いているすみっコたちには素直に感動した。

しかし、問題なのは、明らかに子供向けの映画であることだった。

多分、大人の自分が一人で観に行くようなものではないし、無理に観に行くほどではないなと感じ、DVDやブルーレイ、もしくはアニメのチャンネルで放送される時まで待とうと思った。

そして映画公開。

映画を観に行かないと決めたまでは良いが、気にはなっていたのでSNSやレビューはチェックしていた。

すると、公開後の映画サイトのレビューが異様に良かった。

もちろん、とても気になった。

観に行かないと決めた心は揺れたが、やはり大人が一人で観に行く勇気はなかった。

けれどもツイッターでトレンドに入り話題になったことから、興味本位で観に行く人も増えていると知った。

私はなんとなくネットで近場の劇場を調べた。そしてチケット予約の画面を見ると、平日なのに予約だけで席が全て埋まっている回もあった。

何が起こっているのだろうかと思った。

もしかしたら、大人がソロで行っても許される雰囲気なのかもしれないと感じた。

チケットを予約し、実際に行ってみると、大人一人で来ている人はたくさんおり、私はそこに紛れる形で映画を観ることができた。もし話題になっていなかったら、行くことはなかっただろう。

話題ってすごい。

そして話題になってくれてありがとう。

 

映画の内容はすでにたくさんのSNSやレビューで評価されている通りだった。

観ることができてよかった。

 

リアルで普通な夢の世界

夢を見ているときは夢の中が現実のように思えるが、起きるとすべてがガラっと変わってズレが生じ、まるで夢を見ていたような気になる。
そのまんまだが、この感覚は言葉にするのが難しい。

最近は毎日夢を見ていて、夢の中では現実を生きるように普通に過ごしている。
起きた瞬間にその夢をメモしようとするのだが、なんというか、夢の中は普通に過ごしていたことなので上手くディティールを書き起こせないのだ。
簡単に言うと、風呂に入って体を洗った、という現実は普通すぎてそのディティールまで観察する繊細さはないが、また別の現実では風呂に入るということを珍しく感じ、そのズレが興味深く感じられるのでディティールを書き残したい気持ち。
はい、わけわからないですね。
言葉で説明するのが難しいです。

夢は見ているけど書き残せないのが最近の悩みといえば悩みか。
意識がはっきりしてくると、夢の内容は忘れてしまうし。

今日書いた夢日記はこうだ。

『たくさん人がいて私は階段で列に並んでて、何かもしていた。』

だけである。
表現力なさすぎというツッコミはさておき。
夢の中ではたくさんのディティールがあったのだが、視覚に頼らないものも多かったので、言葉にすることができなかったのだ。

『何かもしていた。』
というのは文法的におかしいが、観察している私としては何かをしていたのではなく、何かもしていた感覚なのだ。
上手く表現できないのが歯がゆいしもどかしい。
言葉って難しい。