もふもふ夢日記

日々感じたことの雑記

夢の解釈

夢日記は、読み返して自分なりに解釈してみるのが良いと思う。

ただ夢を見て、嬉しかった、最悪だった、癒された、というのも楽しいが、夢の魅力に気づき始めると、一歩進んでその夢の意味を知りたくなるものだ。

私は夢が気になるようになってから、その日の夢に出てきた象徴的なものを夢占いのサイトでチェックするようになった。
すると、自覚していなかった意外な気づきがたくさんあった。
例えば、『猫』という象意ひとつとっても、たくさんの意味があったからだ。
ほー、猫にそんな意味があるのか、なんとなくピンと来たから、こういう意味だったのかな、ああいう意味だったのかな、なんて考えるのも一興だった。

そして、しばらくは夢日記と夢占いのサイトを照らし合わせて解釈する日々を送っていたが、ある時、夢占いの象意と自分が夢の中で感じたものとの整合性がつかなかった。
なんか違う気がするなーとか、ピンと来ないなーというものだ。
解釈がしっくりこないということで、夢に対する興味が薄れたりもした。
けれどもしばらくするとまた象徴的な夢を見て、夢への興味が復活するのだった。

夢への興味は紆余曲折ありつつも、やはり好きだという思いに落ち着き、自分がその夢を見てどう感じたかも大切にしようという考えに至った。

それからはなるべく自分の気持ちに従い、まずは何にも頼らずひとりだけで夢の解釈をするようになった。
思い込みもあるかもしれないが、とりあえずは夢日記を読みながら自分が客観的に何を思い、何を感じるかを試すようになった。
すると、不思議な感覚があった。
夢の中の感覚とは違い、客観的に夢日記を読む私の思考は、直感的に答えやヒントを感じたりするようになった。
それは、言葉だったり、感情だったり、過去の情景だったり、普通の気づきだったりした。
なーんだ、こんなことか、なんて拍子抜けするような答えがわかることもあった。
また、夢占いのサイトに頼りきりだった時よりも夢の解釈を楽しく感じ、素直に自分と向き合った方がより精度の高い理解を得られるという仕組みから、大きな気づきや学びとなった。

それから自分で夢の解釈をしつつ、本当に特徴的で気になってしょうがない状況やアイテムだけは夢占いのサイトも活用するというやり方に変えた。
本当なら、全て自分だけで夢の解釈ができる方が良いのかもしれないが、もう少し学ぶ時間が必要のようだ。